SHIPS Primary Navy Label
バイヤーのルーツ~三井田悦子の場合~ ①


お手伝い程度ならと思って始めたんだけど、
いつの間にか社員登録されてました(笑)
ーそもそも、SHIPSにはどのような経緯で入ったのですか? 「1980年、今のPrimaryNavyLabelと同じ場所にレディースの1号店ができる時、声をかけてもらいました。もともと、前身であるMIURA、MIURA&SONS(*1)の頃から頻繁にお店に通っていて、知り合いが多かったんです。で、商品自体は知っているし、今までの買い物で知識もあるので是非にと。販売は別のところで経験したこともあって、お手伝い程度なら、と思って始めたんだけど、いつの間にか社員登録されてました(笑) ーいつの間にか!今では考えられない話ですね(笑)そんな風に販売員として始まったと。昔を知る人からは、カリスマだったと聞いていますが、販売員としてのスタイルはどのようなものだったのですか? 「そんな大げさなものではないですよ。お客様の好みを聞いた上で、ライフスタイルに合ったスタイリングの提案をしていましたね。主婦の方なのか、働いている方なのか、働いているとしたら、どういった環境なのか。。。と、できるだけ詳しく聞いて、想像をして。元々、お洋服を組み合わせることが好きだったんです。SHIPSで扱っているアイテムはベーシックな物が多く、組み合わせ次第で雰囲気を変えることが出来たので、楽しかったですね。ボーダーにデニムを合わせたとしても、足元をローファーにするかバレーシューズにするかで、アメリカントラッドか、フレンチかに変えられるように。特別なことをしている意識は無かったけれど、お客様は信頼して、頼りにして下さいました。何かあるとお店に相談に来る方が多かったので。今でもプライベートでお付き合いのある方が何名かいます。それは私にとって誇りです。」 ーそれは素敵ですね!ちなみに、ファッションに関する情報収集はどうしていたのですか? 「ほとんど雑誌ですね。anan、Olive、フランス版ELLE、Men'sCLUBの街頭写真なんかも見ていました。気に入ったところを切り取って、スクラップして、コーディネートやディスプレイに活かしていたの。今と違ってアナログでしたよ。自分の足で情報を探すしかなかった時代だから」


小学校の入学式で 皆はフリルのワンピースで頭にリボンを付けている中、 1人だけタータンチェックのスカートに紺ブレを着ていたんです(笑)
ー少しお話を遡らせて下さい。そもそも、お洋服に興味をもったきっかけはなんだったのでしょうか?「かなり遡るわよ(笑)えー、始まりは、叔母の影響なんです。みゆき族(*2)で文化服装学院に通っていた叔母は、課題で子供服を作ることになると、私の為に作ってくれたんです。それが、ボタンダウンのシャツや、プリーツスカートで(笑)。だから、小学校の入学式で、皆はフリルのワンピースで頭にリボンを付けている中、1人だけタータンチェックのスカートに紺ブレを着ていたんです(笑)」
ーその頃から(笑)でも、同年代でそんな格好をしている人はいなかったですよね?皆と違う服装をすることに抵抗はなかったですか?「これも叔母の影響なんだけど、アメリカの雑誌やホームドラマ、字幕の洋画を一緒に見に行くことが多くて。その中に出てくるスタイルが自然と入ってきてたのよね。とっても格好良くて。だから、自分もそんな服を着られることは、少し恥ずかしかったけれど、嬉しさの方が強かったですね」
ー英才教育な子供時代だったんですね(笑)そこからファッション道が始まったと
「そうですね。祖母にも叔母にもとても可愛がってもらってました。銀座の不二家にペコちゃんサンデーを食べにいったり、FUKUZO(*3)でブラウスを買ってもらったり。で、中学生になると、弟や友達と上野のアメ横に出入りするようになって。そこでMIURAを始め、色々なお店に行って、沢山の人と出会って。。。話の合う仲間とお洋服について語り合っていました。そこでの出会いがSHIPSへと繋がっていったんです」
②へ続く。。。
*1 : MIURA 、MIURA&SONS SHIPSの前身となったお店。1952年、上野アメ横に輸入雑貨店として三浦商店(後にMIURAに改名)を構えたのが始まり。その後、輸入衣料を置き始め、1坪半の店舗ながら、製品の取り扱いはアメ横でも随一となった。その当時の洋服好きにとっては憧れのお店だったという。その後、1975年に渋谷の道玄坂に衣料品店としてMIURA&SONSを開店。ちなみに、MIURAは、現社長である三浦家が始めた。それを引き継ぐ形になったので、&SONS(息子)という店名となった。
*2 : みゆき族 1964年、アイビールックを身にまとい、銀座のみゆき通りをメインとし、闊歩、たむろしていた若者達の集団。
*3 : FUKUZO 1970年~1980年代前半、横浜から発信され、大流行した「ハマトラ」スタイルを語る上では欠かせないブランド。ミハマのシューズ、キタムラのバッグと共に、「3種の神器」とも言われた。