SHIPS グランフロント大阪店

2019 14 Apr

『プレップな日曜日vol2』

 

 

 

 

 

4月12日(日) 

大阪市北区 雨

最高気温18度 最低気温10度

 

 

 

 

ブログをご覧の皆様、こんばんは

 

 

4月が幕を開け、早くも2週間が経ちました。

 

今週は陽気が安定せず花冷えが厳しかったですが、

 

徐々に風情溢れる春を感じます。

 

 

3月と4月は出会いと別れの時節ということもあり、スーツやジャケットを新調された方も多いのではないでしょうか。

 

 

今回は、スーチングには欠かせない大切なアイテムの1つ「ネクタイ」について、お話できればと思います。

 

 

一口にネクタイと言いましても、その種類や、柄、色が持つイメージなどは多岐に渡ります。

 

ですので、今回はネクタイの“歴史”に焦点を当てたお話です。

 

 

少しばかりお堅く、そして長くなってしまいそうですが、

 

歴史を紐解くと興味深い史実がたくさん存在します。

 

お時間ある際に是非ご一読していただければ幸いです。

 

時代は遡り1600年代前半

 

史上最大の宗教戦争とも言われる「三十年戦争」が勃発

 

もともとは、ドイツ領邦間の宗教戦争から始まり、やがてフランスなども参入し、

 

ヨーロッパの覇権を巡る国際的な戦争へと変質します。

 

 

その中で、クロアチアもまた未曾有の惨禍に巻き込まれる形で参入

 

当時、クロアチアの軍服は首に鮮やかなスカーフを巻く伝統的なスタイルでした。

 

 

傭兵としてクロアチア兵がフランスを訪れた際、

 

ファッションに敏感な、ルイ14世の目に留まります。

 

ルイ14世が「あれ(スカーフ)はなにか?」と尋ねたところ、

 

側近は、(スカーフについてではなく)クロアチア兵について尋ねられたと勘違いし、「クラバット(クロアチア兵の意)です」と答えたため、

 

その布は「クラバット(cravat)」と呼ばれるようになります。

 

 

その後、絶対王政のルイ14世統治の下、「クラバット」はパリジェンヌの間で目新しいファッションとして流布します。

 

 

現在でもフランス語ではネクタイを「cravate(クラバット)」と呼ぶのはそういった経緯があります。

 

(※諸説あります)

 

 

その後、クラバットは戦争や政治の影響により、イギリスでも流行します。

 

 

その頃(1700年代)のイギリスファッションにおいては、自らをどれだけ華美に魅せるかに重きを置いていました。

 

香水を振り、男性も化粧にカツラ、そして奇抜なファッション、、、

 

 

しかし、1800年代に入ると、かの有名なジェントルマン=「ボー・ブランメル」(1778~1840)は、そのスタイルに一石を投じます。

 

奇抜なファッションを捨て、シンプルで清潔感のスタイルを提唱しました。

 

ブランメルはダンディの生みの親であり、メンズファッションに初めてダンディズムの精神を生み出した偉人です。

 

 

ダンディとは単に服装のことだけではなく、精神的なもので人々の心を擽ぐり、

 

その精神とファッションは貴族や英国皇子をも魅了し、ヨーロッパ中に広まります。

 

 

身支度には毎日2時間かけていたことや、数百ものクロバットの結び方を生み出したことなど、

 

現在でも彼に関する伝説は枚挙に暇がありません。

 

 

装いが簡素になったその時代に、クラバット姿を消したのではなく、

 

却って洗練され、現在のネクタイの礎である「フォアインハンド・タイ」が誕生します。

 

 

加えて、この前後に「蝶ネクタイ」や「アスコットタイ」などの種類も増え、

 

英国紳士の嗜みである首回りの彩りが形成されていくのです。

 

 

 

 

 

 

時代は流れ、1800年代後半になると“レジメンタルタイ”が普及します。

 

Regiment=連隊

 

文字通り、英国の軍服にネクタイが用いられ、所属する軍や連隊を区別するため、

 

配色や縞の幅、ピッチなどが異なるレジメンタルタイが数多く出回ります。

 

さらには、ジェントルマンズクラブのタイも自身の所属や社会的地位を示すシグナルとしてレジメンタルタイを。

 

また、英国イートンカレッジをはじめ、各大学のクリケットチームが各校独自のレジメンタルタイをユニフォームに用いたのも概ね同じ頃です。

 

 

このような事柄が重なり、レジメンタルタイはネクタイを語る上では欠かせない存在となります。

 

 

 

1900年代に入るとアメリカの東海岸でもネクタイは男性の装いには必需のアイテムとなります。

 

そこでもやはり、流行はレジメンタルタイでした。

 

当時アイビーリーグに所属していた8大学のエリート学生は率先してレジメンタルタイを着用します。

 

 

当時、彼らの代表的な装いはネイビー・ブルーのブレザーに、ボタンダウンシャツ、チノーズにコインローファー

 

そして、レジメンタルタイ(厳密には米国ではレップタイの名)を結んでいました。

 

 

 

ここで少し小話ですが、

 

皆様はレジメンタルタイに英国式と米国式があるのはご存知でしょうか?

 

もともと英国でのレジメンタルタイは向かって左下がり(右上がり)の縞が主流でした。

 

ある日、ウィンザー公が訪米した際に、着用していたレジメンタルタイをBrooks Brothersの次期社長がサンプリングし、

 

左下がりを右下がりのレジメンタルに変えて作ったという逸話が存在します。

 

そのため(?)現在のレジメンタルタイも英国ブランドは左下がり、米国ブランドは右下がりが多くなっています。

 

(※こちらも諸説あります)

 

 

 

 

他にもネクタイの歴史を語る上では不可欠の“ファッションアイコン”の存在や、

 

ネクタイの画期的な生産方法を編み出した職人“ジェシー・ラングスドルフ”の存在、

 

そして、日本でのネクタイの普及についてなど、

 

まだまだお話ししたいことはございますが、

 

案の定長くなってまいりましたので、それらはまたの機会に。

  

 

 

 

 

現在SHIPSグランフロント大阪店には多種多様なネクタイがございます。

 

これらは一部ではありますが、気になるものがございましたら是非店頭でお試しください。

 

 

 

最後になりましたがスタイリングサンプルでお別れです。

 

 

 

流行りの幾何学模様がプリントされたネクタイはDrake’sのもの。

 

プリントタイならではのノットの小ささを活かし、ボタンダウンシャツに合わせました。

 

太めのチノとパラブーツで敢えてラギッドに。

 

 

 

お次に、Breuerのレジメンタルタイを用いたスタイリング。

  

 

 

 

Breuerはフランスのブランドですが、ほとんどのネクタイがアメリカ式の右下がり。

 

フランスの丹精なものづくりとアメリカに対する敬意が垣間見られます。

 

Vゾーンに2柄を用いていますが、柄の大小でメリハリをつけているためケミストリーもバッチリです!

 

濃紺のデニムにコンビのローファーを合わせ、フレンチアイビーっぽく。

 

 

 

 

時の洗礼を受けながら在り続けるネクタイ

 

クールビズではありませんが十分クールですヨ

 

 

 

 

 

グランフロント大阪店 新井